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治って欲しかった [ARDS(急性呼吸窮迫症候群)]

中村勘三郎さんが亡くなられました。

急性呼吸窮迫症(ARDS)、治療の状況もなにもかも
それなりにわかっているから、大変だと思いながら
なんとか治って欲しかったです。

人工呼吸器が外せるか、そのお世話になるのかは
りんちゃんの場合、10日をめどにしていました。
外せる?どんなだろう、気になりながら日々の生活に追われ
気付けば今朝のニュースでの訃報。

著名人で、東京という大都市で、大きな病院や
その道で権威ある先生方もたくさんいるであろう東京。

私たち家族が住む地方の町では、
喉頭気管分離術を受けるため
他県に行かなくてはならないこともある、
水頭症でも、良い先生に看てもらうため
他県の有名な病院にかかる人もいる、
そんな環境とは異なる大都市、東京。

そんな環境で、更に専門の治療を受けるため
2度転院して治療に専念されて…

環境が整っていても、治らないなんて。


りんちゃんがICUから無事一般病棟に戻って
2,3日後県境で中継してもらい
救急車で掛かり付けの病院に帰りましたが、
熊本の病院を発つ朝、ベテランの看護師さんに
深々頭を下げられ言われた事と情景が思い浮かびます。

「正直もう駄目だと思っていたのに
こうして一般病棟に戻ってきた。
今までの経験で思いこんでいたけれども
良い意味で裏切り、こうして戻ってきた。
自分の認識を改めなければと反省しました。
お子さんもお母さんも治ると信じて戻ってきた、
この年になっていい勉強をさせてもらいました」、と。

たくさんの看護師さんに見送っていただき
約束の時間に中継地点に到着するよう
ばたばたと転院の準備をしていた朝のことでした。
涙涙でごあいさつをして出発した朝でした。
my酸素ボンベを忘れて、病院の敷地を出て
サイレンを鳴らした救急車はUターンして
今出てきた病院に数分で戻ってしまいましたが…
泣き顔で照れ笑いしながらで、格好良く立ち去ることは出来ませんでした[たらーっ(汗)]

今日はあの日の朝の、あの看護師さんの言葉が
今更ながらズッシリと重たくのしかかってきます。
治って帰ってこられたけれども…
本当に危険な綱渡りをしてきたんだと
改めて命があって良かった、助かって良かった、
人工呼吸器を外すことができて良かった、と。


午前中発達支援センターで歌遊びをしてきました。
膝の上で座位をとらせて遊ばせましたが
あたたかなその背中、肩を後ろから抱き
いとおしくてそのまましばらく抱きしめてしまいました。
離したくない、離したらどこかに行ったりしないか…
あの時助かってくれたから今ここにいる、
この命の火が消えることなく
いつまでも抱きしめられれば…
りんちゃんが罹った病気がこんなに恐ろしかったなんて…
勘三郎さんが元気にまたテレビに出てくれたら
「こんな元気になれる!怖い病気じゃなかったんだなぁ」
そう感じたかったのに。


痛みや苦しみから解放され、
天国で存分に歌舞伎に没頭し
親しき人達と大いに語り楽しんで欲しいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

ARDS [ARDS(急性呼吸窮迫症候群)]

今日は午前中リハビリに行ってきました。
3週間ぶり、体が随分硬くなっていました。
この週末は体幹部分、太腿と筋の硬い部分を揉みほぐさねば…
体が硬いと呼吸にも差し障るようなのでひなたぼっこしながらね!
施設の預かりも、ぼちぼちの利用ということでお昼に帰ってきました。

今昼ご飯を食べながら、歌舞伎役者さんのARDSについてテレビで見ました。
さらっと終わった感じがして、「そんな軽い病気じゃないのに…」と思ったの、私だけ?


りんちゃんが去年2月に喉頭気管分離手術を受けた際
術後の経過が思わしくなくて、どんどん悪化してICUに入りました。
個室での治療に限界があるということでのICU行きでしたが
その時のメインの目的はARDS(急性呼吸窮迫症候群)の治療でした。
うまく呼吸できなくて、人工呼吸器を使っても自律呼吸が邪魔をし
鎮静剤(睡眠導入剤?)でも太刀打ちできず、筋弛緩剤まで投与しました。

成人と小児では異なるのかしら?
ICUに入った際、先生から頂いた現状説明書には
「ARDS:小児の呼吸不全の中でも最重症。根本的な治療はない
人工呼吸管理ときっかけとなった病気の治療が重要」
と書いてありました。この時のきっかけの病気とは肺炎です。

喉頭気管分離の手術で創部感染を起こしました。
傷口に膿が溜まってしまったのですが、
創部感染と肺炎と、どっちが先なのかは判断不明ですが
この肺炎がきっかけでARDSになりました。
りんちゃんの場合は、26週6日で生まれた超低出生体重児で
肺の状態が元々悪いし、水頭症で呼吸循環コントロール不良、
耐性菌を保菌しているのでとても深刻な状態でした。

耐性菌はエンテロバクターです、水頭症治療中のドレナージ治療で
細菌性髄膜炎に感染した際の原因菌です。
薬ですべての菌を殺すことはできず、回復したように見えても肺などに隠れていて
体調が悪化した際にはムクムク元気に活動しだします。
この時も何回も培養し、何日目かでやっとこの菌が確認され
クリダマイシンを中止しバンコマイシンを投与されました。

この時先生は「今治さないと先がない。人工呼吸器が外せないこともある。
命に関わることも十分ある。全力は尽くします」と言いました。
楽観視はしません、でも少しずつでも良い方向にもっていきたいとも言われました。

1日2回、1回あたり2時間の面会に行くたび
ベッドサイドで思いつく限りの童謡、唱歌、アニメの主題歌、
思い浮かばないときには童謡のメロディで替え歌を歌いまくりました。
絶対大丈夫、そう言い聞かせながら、薬のせいだったのかなぁ…
浮腫みまくって横たわったりんちゃんに必死に歌って聞かせてました。
大人のARDSはそこまでひどくないのかなぁ…
まあ、りんちゃんの場合は悪い条件が揃いすぎているから仕方ないか…

絶対に家に帰るよ、生きて元気になって「ただいま」って言って帰ろう!
そう自分に言い聞かせ必死だったあの時。
必死すぎて私の歌声はICUに響きまくっていたのか?
一人では不安で小児病棟のランドリーを使わせて貰っていて
毎日小児病棟に顔を出していたのですが、
看護師さんに会うと「ママ、歌いまくってるんだって?」といじくられ[あせあせ(飛び散る汗)]
だって!言葉よりりんちゃんに伝わるかと思ったんだもん[ふらふら]
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