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手術に踏み切った訳 [喉頭気管分離]

りんちゃんが喉頭気管分離術に踏み切ったのは
NICUを退院して最初に迎えた初冬の頃。

NICU退院準備の頃から、周産期の先生と
退院後の小児科担当の先生と2人から
延命処置を拒否する書類にサインを勧められていました。
今まで十分苦しい思いをして処置を受けてきて
命に関わる状況になった時、良くなる保証のないままに
りんちゃんにこれ以上の苦痛を与えるのはどうだろう、と。
さすがにこれは受け入れることが出来ず拒み続けました。
「結論は出ましたか?」と聞かれる度に
まだ考えていて結論出ません、と逃げ続けたのでした。

退院後の最初の冬を乗り切れればいいですね、
それより先の事を考える前に
まずは無事春を迎えることだけ考えてください、
そう言われ、苦しくて単純に喜べない退院の日を迎えました。

りんちゃんはよく吐きました、1日に2、3回なんてざら。
3段ボックスにいっぱい詰めたタオルが午前中で空になる程。
胸の音を確認しようにも、ゼロゼロとうるさすぎて
呼吸音どころか、心音も聞こえない状態。
Spo2も90前後、心拍も180前後、
パルスオキシメーターの設定をSpo2は限界の90、
心拍は180に設定しておくと3分に1回はなる状態で
こんなん意味ないじゃん、と思いながら200に設定していました。

10月に初めて入院、風邪のひきはじめでした。
レントゲンにはちょっぴり白い影、気管支肺炎でした。
治るまでに3週間の入院、初期の風邪で3週間。
週に一度の小児科の回診時には、
聴診しても聞こえづらいりんちゃんの胸の音を聞きたいインターンが
回診の行列から離れてでも聴診しようと試みるほど。
病棟の師長も、救急病棟の当直の時に違いが分かるよう
りんちゃんの胸の音を聞いておきたいと病室に聴診に来るほど。

退院して3週間後にまた3週間の入院、
その次は退院後3週間前後で再び3週間の入院…
その間年長になったお兄ちゃんの運動会や発表会、
参観日やらなんやら、子育て支援センターに付き添いをお願いし
病院を抜け出して幼稚園へ行きました。
祖父母が北海道の娘の所に遊びに行っていて不在の時に
腸炎で発熱して幼稚園を休んだおにいちゃんの看病で
病院を抜け出したりもしました。

入院の度におにいちゃんに我慢をさせ
お父さんも仕事と家のこととでへとへとになってました。
りんちゃんも可哀想、おにいちゃんも可哀想…
喉頭気管分離を勧められていたけれども
声を失うことに強い抵抗があって拒み続けたのですが
それも限界でした。
手術をすることでみんなが楽になるならば…
訓練をすればお口から食べられるようになる可能性も…

お父さんを説得にかかりました。
延命処置を拒否するよう言った先生が、ある意味
延命処置とも考えられる喉頭気管分離を勧めていること。
声は失うかも知れないけれども、りんちゃんが楽になること。
もぐもぐ口を動かす事もあるから、口から食べられる可能性があること。
入院の度におにいちゃんに我慢させ続けるのは可哀想。

とにかく明るい展望を一所懸命アピールし続けました。
胃瘻も勧められていたのですが、メスは最小限に、
分離をすれば状態ががらっと変わるかもしれないから
術後の経過を見てからでもいいじゃない?
ということで、分離だけで済ませようよ、と。
エンシュアだけでなくて、世の中にある美味しい物、
いっぱい味わえたら、脳に良い刺激になるよ、とか。

りんちゃん1歳のクリスマスは病院で迎えました。
12月21日、気管支肺炎で入院し、
クリスマスどころかそのままお正月も病院で迎え
初めての一家団欒のクリスマス&お正月はおあずけに。

そんな中、正月明けの1月7日、夫婦揃って
担当の先生から喉頭気管分離手術と胃瘻の説明を受け、
おにいちゃんが幼稚園を卒園するまでに手術をする覚悟を決めたのです。
なじみのある幼稚園を卒園し、初めての学校生活が始まる時に
不安なく過ごせるようそばにいてやりたい、
その為には先方の病院の都合を確認して
一刻でも早く手術をしてしまおう!
かなり強行スケジュールですが、今ならなんとかなる、
そう判断して2月上旬まで体調管理も兼ねて入院続行となったのです。


長くなってしまったので、手術に至るまでの検査とか
楽観していた私たち夫婦が手術前日に知ったリスクなど
別の記事として記していこうと思います。


喉頭気管分離手術から明日で2年 [喉頭気管分離]

1月の中旬か下旬か…
テレビで延岡西日本マラソンのCMを見るようになり
「そろそろあの手術を受けた時期が近づいたなぁ」
と感じていました。

手術に至るまでのこととか、
実際手術をした時のこととか、
まさかのICU(てか、HCU?) の日々とか、
もう、とっても濃い濃い日々の始まりの日。

2年前の今日、朝の9時、
掛かり付けの病院から熊本に向かいました。

体調を崩すわけにはいかない、と
クリスマス前から気管支肺炎で入院して以来、
松の内が明けて退院できると言われてから
体調をキープするために、
先生にお願いして引き続き入院を続け、
病棟の看護師さんや先生、みんなに見送られて
手術を受ける病院に出発した日。

今パソコンディスプレイの端には8:22と表示、
この時間は、出発の準備のため
荷物の整理をしている時間。
一緒に熊本に行くため、お父さんが病室に来た頃。

これから毎日のように「この日はどうだった」
「そうだ、お熱が上がり始めた日だ」
「次の頓服が使える時間がこないか時計ばかり見ていた頃だ」
とか、これから宮崎に帰ってきた3月まで
走馬燈のように色々なことが思い出される日々が…

手術に至るまでの段階とか(りんちゃんの場合ですが)
手術について、どんな心配があるかとか
私の記憶の整理を兼ねて
これから毎日?記事を書いていこうと思います。
書きたいと宣言してまだ書いていない事と
並行して記事にしていこうと思います。
感情的にならないように気をつけます (´・ェ・`)
今既に、目じりに小さな水溜まり…

さて、りんちゃんの栄養が終わっていないかチェックしてきます。
終わっていたら、今朝はOTがあるので仕度です[あせあせ(飛び散る汗)]


幸せな夢 [喉頭気管分離]

今朝方見た夢、ありえないけれども幸せな夢。

昨日の朝のりんちゃん、痰が呼吸の邪魔をしていたので
側臥位にして脇の下あたりをタッピングしたら
その振動か、タッピングの度に揺れる腕の動きが楽しかったのか
ニコニコいっぱい笑ってくれました。
預かりの施設でもいっぱい笑ったようで
帰宅後に連絡帳を確認したら
「笑ってくれるので 嬉しくて何回もタッピングしました」って[るんるん]


そのせいもあってか、夢の中でりんちゃんが笑っていました。
声を立てて笑っていました、月並みな表現ですが
鈴を転がしたようなかわいい声でコロコロと!
振り返ってベッドに駆け寄ろうとして目が覚めました。

りんちゃんは喉頭気管分離をしています。
声帯より少し下の部分、食道と気管を切り離し
気管の方は喉に繋げられているので
空気が声帯を通過することがないので声は出せません。
生まれてから髄膜炎になるまでの僅かな間だけです、声の出ていたのは。
髄膜炎後~手術までは、息づかいのような
声とも言えない声しか出していませんでした。
手術後は出るとしたら、胃泡を飲み込みすぎて
ゲップを出すときに声帯を震わせる時だけ。
瞬間、「ぉっ」というか「ぁっ」というか…
微かな声とも音とも言えない音です。

今日はきっと幸せな一日、と思う[わーい(嬉しい顔)]
R-1ヨーグルトが底を尽きそうなので
あるかないか…スーパーの開店を狙い、
お父さんが忙しくて病院に行けないようなので
処方箋をもらって薬局に行き、前回定期外来の時
りんちゃんに処方されたエンシュアが不足していたので
一緒にもらいに行って…新しい障害者手帳も受け取りに行きたい…
でも午後からPTがあるし…欲張りすぎかなぁ?
埃も積もりだしたので掃除もしたいし~、無理だ[たらーっ(汗)]
事故のないよう安全運転で出掛けてきます[車(RV)]

りんちゃんの栄養注入も間もなく終わりそうです、
無事故で行ってきます!
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